あまい

 

どうしてこんな風になってしまったんだろう?ということがたまにある。仕事のことなんて正直どうでもいい、それよりも上手くいかなくなっちゃった人間関係とか、誰かが病気になっちゃったとか、そういうことの方が悲しい。自分が悪いと思えれば解放されるけれど、全部 誰のせいでもないから悲しみのやり場が無い。

 

そんなことを考えながら週末を迎えた。もう完全に無理だと思ったから彼氏を召喚して、一緒に過ごしてもらった。私はバイトだったけど。何なら土曜日の21時に出勤して日曜日の朝6時に家に帰ったりもして、せっかく来てもらったのに一緒にいる時間 寝てばかりで申し訳なかった。でも目の前で人が叩かれたり、怒鳴ったり、そんなことばかりだったから、多分 彼氏が一緒にいてくれなかったら潰れていたと思う。

今の私の状況を「おいとま」と呼んで一緒に笑った。こんなカスみたいな生活を肯定させてしまって申し訳ないなと思ったけれど嬉しかった。一緒にだめな方に落ちていくんじゃなくて、明るい方向に引っ張っていってくれるから優しいなと思う。私の優しさは中途半端で自分本位だと思う。言葉を選び過ぎて伝わらない。そんなの優しさじゃない。

 

バイト先で大人の大げんかを見て、今までは本音を言わずに笑い話でその場を取り繕ってきたけれど、あんまりにも馬鹿らしかったからディスってしまった。それでも引かれなかったから驚いた。

ずっと、悪口を言ったら自分もそのぶん言われると思っていた。私は言い過ぎるし口が悪いからと思って、不要な悪口はなるべく言わないで、どれだけ嫌なことをされても「不器用な人だなぁ」と思うようにしたり「別に悪い人じゃないから」となあなあにしてきた。でもそれで自分が傷ついていたんじゃ割に合わないよな。1月にも同じことを考えた筈なんだけど、また繰り返している。

 

もう少し自己主張してみたい。それでだめなら仕方ないと思えるようになりたい。せっかく私自身を大切にしてくれる人(恋人に限らず)がいるんだから、味方になってくれるんだから、もう少し私も私の言い分を聞いてあげたい。自分を信じるなら、多分もう少しだけ自己主張しても誰かを傷つけることはないと思う。ていうか別にいいよな、傷つけたって。私だって傷つけられてるんだからお互い様だよな。相手が欲しがっている言葉は何となくわかる。それだけを言い続けるのは楽だ。ある意味 何も考えなくて済むから。でもそれってけっこうつまんないんだよな。少なくとも私は何も楽しくない。

あと「誰のお金で学校行って資格取ったのか知らないけど、せっかくそこまでしてなんでバイトなの?もったいない、無駄だ」みたいなことを初対面の人に言われたのも腹が立った。それは言い返せたから良かった。(でもやっぱり悲しくて悔しくて、裏で少し泣いた)

私は人の話を聞いたときに、何かしら理由があるんだろうなと思ってしまうから、自分の価値観で相手の行動を評価したりしない。その人がそれで良いならそれで良い。私が決めることじゃない。

 

…とまあそんなことを自発的に考えられるようになったのも、恋人しかり周りの人のおかげなんだよなぁ。人に傷つけられるのに、人によって生かされている。不思議だなと思う。有難いよね。

 

とりあえず明日からは頑張り方を間違えないように、人と自分を混同しないようにする。この「する」は、最初「頑張る」と書いて消し、次に「心掛ける」と書いて消してたどり着いた「する」。そのくらいでいいよ。もう。笑