ROLLIN'

 

鬼束ちひろさんの歌声はいつも美しくて、絶対に私を裏切らない。青葉市子ちゃんも大森靖子ちゃんも。別に裏切られたなんて思ってないけれど、風前の灯火なのもわかっていたからやっぱりなあという感じだけれど、でも悲しいのは変わらないし、音楽があって、芸術という概念があって、私にそれを受け止める感性があって良かったなということだけは思う。

私の表現の世界はとても婉曲的らしくて、大人の社会にはなかなか適合できなくて、人と人との関係にさえなかなか馴染めない。

合う、合わないなんてわからない。だってそんなの個人の主観でしょう。私は合わなくたって合わせたかったし、それでどれだけ自分を追い詰めたって追い込んだって良いと思っていた。(多分これを友達とかに言うと怒られる)

いつかこの気持ちも消化できる日が来るのかな。私の婉曲的な言葉で誰かに伝えることができるのかな。伝わるのかな。シンプルさもストレートさもない、上辺をなぞるだけのような言葉を拾ってもらえるのかな。

それが難しいならやっぱり私は、自分の表現や音楽の世界に逃げ込んでしまいたい。もう誰もいらない、誰かに期待したりすることもない、自分の思う美しさと丁寧さ、表現力の世界に閉じこもっていたい。

 

そういえば昔は人に相談するということもできなかったんだよ。今は人に頼りまくりだけど。「相談してはいけない」「人に頼ってはいけない」ってそう思ってたのかな、それとも誰のことも信用してなかったのかな。わからないけれど今だに忘れられないのは、私が心を完全に開いて辛かったことを話したとき、手を握って聞いてくれた友達の存在。今その子とは全く連絡を取っていなくて、何をしているかも人づてに聞くくらいのものだけど、でもその子がそうやって話を聞いてくれたことは絶対に忘れない。

 

閉じこもりたい気持ちと解放してあげたい気持ちと両方が私の中にあって、そのバランスがうまく取れないから難しい。1人で気持ちを飲み込む時間はとても怖いよ。だから音楽があって良かったよ。結局そこに辿り着いてしまうんだよ。音楽があるから私の心の中の調和や均衡が取れるんだと思う。早く飲み込みたいな。自分や誰かを責めることなく、白黒つけない灰色のままで自分を納得させてあげたいな。

今はそう思っている。でも私の心は弱いから誰かを求めてしまう。悲しい。ああ。