神の心は砂糖菓子

 

うだうだが少し晴れた、というのも溜め込んだものを全部 吐き出したから。吐き出したら全部 受け止めてもらえて、且つ私が溜め込んでいたことで逆に負荷をかけていたことにも気がついた。本当は、の部分が全然届いていなかった。気付けて、話せて良かった。

 

それでもまだザワザワするのは残っていて、そっちは普通に昼間の仕事のことで、明日が山場。嫌だなあ。怖いなあ。職場に連絡するのいつぶりだろう。

 

私は今、週1か2くらいカラオケスナックでこっそりバイトしている。それを肯定的に受け止める人、今度遊びに行くねと言う人、長くその世界にとどまらない方がいいよと言う人、真っ向から否定してくる人、本当に人によって反応は様々。

100人が100人わかってくれるとは思わない、というかわかっているけれど、私けっこう楽しくて生き生きしてるんだよ?というのが本音。私でも誰かを楽しい気持ちにさせることができて、その上で私も楽しい気持ちになれるんだっていう自信にもなる。色んな音楽に触れられる。それから、社会との接点が生まれた。

「よく知らない曲でも皆で歌えば楽しいね」「カラオケは好きな曲を入れて好きなように歌うのが楽しいんだよ」常連さん達の仰る通りです。働いている私も非常に楽しいです。ヒトカラも楽しいけれど、スナックに出勤してるときの方がよっぽど楽しいです。

 

正直 水商売をしていると思ったこともなければ、仕事をしているという感覚も正直あまりない。楽しいから行っている。常連さんもみんな良い人だし、私はずっとにこにこしていられる。慣れないヒールは疲れるけど、それもまた一興。

それでも私の「楽しい」は万人受けするものではないから、仕方ない。仕事をやめようとしているのも、もうとりあえずフリーターして自分らしく楽しく生きようと思っていることも、失業保険である程度はどうにかなるかなと思っていることも、全部全部 万人受けする思考ではない。

でも認めてほしい部分もある。何週間か前に職場で心をぶっ殺されて、帰宅後に無言で首を吊った私が「大好きな仕事」を諦めてまで生きようとしていること。主治医の先生が100捨てる(死ぬ)んじゃなくて30くらいは残したら?って言ってくれたのを実践できていること。

それって凄いことだよね。私のものさしはゆるゆるだけど、それでも私の人生を自分でどうにか切り開こうと頑張っているよ。その切り口がカラオケスナックだった、というだけの話。私は底辺カスだと思っていたけれど、環境を変えるだけで評価してくれる人がいて、結果が目に見えてわかるから、底辺カスだなんてそんなこともないなって思えるようになった。

だから全面的に否定する人には、私が勤務してるときにぜひご来店してほしい。そしたらきっとわかる。私も社会の一員になれているっていうこと。家に引きこもっているだけの底辺カスじゃないってこと。

 

そんな現実逃避をしつつ、ああ、明日職場に電話せねばならないのだという焦りがある。寝たら明日が来る。怖いけれど前向きに。明日を乗り越えればどうにかなる。そして明日は絵をひとつ描きたいと思っている。絵を描くのは久しぶりだから上手く描けるかわからない、でも楽しみだなあ

 

こうして文章を打っていると少しずつ眠くなってきたから寝ましょうかね。おやすみBGMは青葉市子ちゃんのアルバム「マホロボシヤ」です。優しいけれど少し寂しいアルバム、という印象もある。市子ちゃんのアルバムは全部 似ているようで似ていない。それがまた良い。

おやすみなさい。