考えていることあれこれ

 

まとまらない、というかまとめる気もない雑記。思考が飛び出す度に文章を作ってみようと思う。着陸地点は不明。

 

 

久しぶりに会社のことを考えたら動悸が始まって、やっぱり適応障害感あるなあと他人事のように思う。でも明日は、明日こそは申し訳なさと自罰感に打ち勝ちたいなと思う。

 

何だかまた世界に怖いものが増えてきた。自分の内世界に物事を増やすのがとても怖い。その物事が必要なものでも不要なものでも、判別できないものでも。新たな刺激を自分の中に取り入れるのはとても勇気の要ることだ。入れてしまってから思っていたものと違ったらどうしようとか、入れたくないのに勝手にズカズカ踏み込んできてしまったらどうしようとか、そんなことを沢山 考える。

 

自分の心はとても脆くて狭い。そこに自分の好きなものだけをぎゅうぎゅうに詰め込んでおきたいんだけれど、なかなかそういうわけにもいかないし、不要な刺激を受けることも時にはある。それは社会で生きている以上 仕方の無いことだと頭では理解している。

 

もしかしたら私のことを私以上に理解している人もいるのかもしれないし、私が1番わかっていないのかもしれない。理解者を自分から拒んだり遠ざけたりしているのかもしれない。その逆、理解してくれない人との距離を自分から縮めているのかもしれない。わからない。あと全てを理解してほしい、理解されたいとは思わないけれど、それでも「わからない」と一括りにして投げ捨てるのはやめてほしい。私だって自分の心はわからないしなかなか読み解けないけれど、一生懸命 考えて、わかったことは伝えようと努力するから。

 

自分の中にある物差し(所謂 価値観というやつ?)がこの1ヶ月で良くも悪くもだいぶぶれたから、自分の判断力が鈍っている。かと言って私に関わる判断を他者に委ねるのはお門違いだと思う。何とかして自分の物差しや価値基準を確立させたいなと思う。その為に1人であれこれ考える時間が必要。他者や社会からの刺激を全く受けない時間。その時間には音楽だけあれば、十分 事足りる。

 

ある意味 自分の今の核は音楽で、創り出すというよりは受け取るという受動的な立場なんだけれど、それを芸術として心に留めるのが好き。

何度も何度も繰り返し聴いた「世界が終わる夜に」、それから市子ちゃんやマヒトさんが創り出す音の世界、君も可愛く生きていてねと一緒に生きることに誘ってくれる靖子ちゃんの歌、その他にも沢山ある。それらをひたすら聴いては受け止め、たまに口ずさんで生きていた。音楽は「思想を伝えるもの」であると同時に芸術だと思っているから、それをそのまま美しいな、綺麗だな、可愛いな、素敵だな、と言葉になりきらない好きを沢山 自分の中に創り出せるのが良い。私の今現在の価値観や立ち位置では、音楽は相互的じゃないから楽。好きなものだけを心にすーっと入れることができる。

 

考えを言葉にするのはとても難しい。まず自分が何を考えているのか、そこから掘り起こさなきゃいけないから。近しい人に伝えるときは余計に考え込んでしまう。私の考え、気持ちをなるべく正確に伝えたいなと思ってしまうから。絶対的な正しさなんてないのに、伝えたいと真剣に思うからこそ言葉を選ぶ。前々からずっと思っている「自分の気持ちを大切にする」「気持ちをどこまでどうやって相手に伝えるか」、これを原点に帰って丁寧に行いたいと思う。幸いなことに、時間だけは持て余すほどあるから。考えるのはお金がかからないから良いなあ。

 

そんなところです。あっという間に1400文字に到達して、もうすぐ1500文字になります。何だか寝る前のこの朧げな時間に書く文章はまとまりがない割に自分の心そのもののような気がする。

前向きでも後ろ向きでもない。今は足元しか見えていないから。あと10日くらいで1月も終わってしまうけれど、その頃には1歩を何とか踏み進めることのできる自分でいたいなと思う。あと世間のしがらみ(自分で勝手に作り出した)から少し抜け出せるといいな。前でも後ろでも横でもいいから、どこかに行きたいな。辿り着くところに幸せなことがあると尚良い。

 

以上。

市子ちゃんの音楽に身体を委ねて眠りにつく努力をします。変な姿勢で文章を打っていたら左手が痺れた。