MOON RIVER

 

昨日 バイト先カフェで閉店作業をしていたらふと聴いたことのある曲が流れてきて、何だろうと思ったらMOON RIVERだった。原曲は初めて聴いたなあ、女の人が歌ってたんだなあ、そう思いながら黙々と食洗機を洗った。オーダーが通っているときは有線なんて聴いている暇ないしそもそも聴こえないから、仕事しながら音楽を聴くという感じが久しぶりだった。帰り道のBGMはもちろん平井堅さんのカヴァーしたMOON RIVERをチョイス。原曲より良い気がしたのは単に聴き慣れているからか。

 

今日はひたすらノートに文章を書き殴ったり、絵を描いたりして過ごした。手紙もひとつ書いた。絵は何だか出来損ないで、捨ててしまった。夏の方が上手く描けたな。今はあまり描けない。ピンとこない。文章を書く方が、今は、しっくりくる。

音楽を聴きながら文章をひたすら書いているうちに、音にも生きる音があることに気がついた。たとえば炊飯器、ご飯が炊けたときの音は生きる音。ご飯を食べるのは生きることだから、生きる音。

今日は冷蔵庫にあった野菜とウインナーで適当な野菜炒めを作って、目玉焼きを乗っけて、それをおかずにご飯を食べた。炊きたてのご飯が美味しかった。どれだけ悲しくても死にたくても寂しくても、ご飯を食べると生きているなって思う。生きていると色々な感情が生まれるから大変だなって思う。

年末に死んでしまった方が楽だったのかもしれない。これ以上 何も生み出さない為にも死んでしまった方が良かったのかもしれない。でも生きる方に進んでしまったから、大切な人に生かされてしまったから、生きている。寂しくて悲しくて、部屋の真ん中で体育座りして泣いても生きていた。生存していることにさえ罪悪感を感じるから生きづらい。こんな風に死ぬ日を待ちながら、死なないからという理由で生き続けるなら、人生っていったい何なんだろうって思った。

人の優しさに甘えて、人の善意を消費して、それで生きていくのって申し訳ないなと思った。でも捨てられない感情があって、ああ、これもいつか消化できるのかな。